そんな色眼鏡捨てちまえ。

考える事と思う事は

同じでしょうか?

 

考える事と感じる事は

同じでしょうか?

 

考えている事と信じている事は

同じでしょうか?

 

 

 

ずーっと20歳の頃から

お金持ちになりたくて

色んな自己啓発に通ってました。

 

でも、ずーっっと上手くいかなくて

ずーっと悩んでて、ノートに書き留めて

でも、何も変わらなくて。

 

 

それが最近少しづつわかり始めてきた。

 

何を考えているか、ではなくて

何を感じているか、でもなくて

何を信じているか、

それが大切だと。

 

そして、

その信じている事によって

人は瞬時に反応し

感情が沸き起こり

行動に移す。

 

言ってみれば、

人は信じている通りに

人生を歩んでいる、

という事になる。

 

この「信じている」というのも

言葉だけで捉えると失敗をする。

 

というか、過去の自分が失敗した。。。

 

 

一般的に信じるというのは、

検証したり確実なことを信じる

というのだけれども、

 

ここで話す「信じる」

というのは、逆。

 

信じるから、事実が検証される。

信じることから始まる。

 

だから、実験したり

結果なんかは無い状態で信じる。

 

信じるというか、

そうで在ると決める、感覚。

 

そう決めると、

沸き起こる感情も変わり

感情が変われば行動も変わる。

 

 

以前の私はバカにされる事が

とても嫌だった。

 

それは、バカにされると

自分の望みが叶わない、と

信じていたし決めていたから。

 

望みが叶わないのは嫌だから

バカにされることを極端に嫌がっていた。

 

でも、ふと気がついて

バカにされて望みが叶わなくてもいいし

バカにされて望みが叶ってもいい、

としてみた。

 

すると、

別にバカにされてもいいや

となる。

 

すると、

むしろ私はバカにされるような人間では無い

となる。

 

そこまでいくと、

明らかバカにした態度の人が来ても

何やってんだこいつ、となる。

 

そもそも土俵に立たない状態。

 

勝とう勝とうとするから

負けるのであって

そもそも、勝っても負けてもいいとなれば

争う事も負ける事もしなくなる。

 

全ての出来事は

AでもいいしBでもいい

 

そこに可否を入れ込んでいるのは

紛れもなく自分なのだから。

 

その可否こそ、色眼鏡であり、

自分を悩ませている元凶でもある。

 

 

そんな色眼鏡捨てちまえ。